ここで子ども達を育てるということ。 - 2015.07.22 Wed
先日、
NPO法人「日本に健全の森をつくる会」(クリックでHPへ)主催で
『3人話 自然の中で子どもたちを育てることを考えよう』 という鼎談がおこなわれました。
その3人とは、養老孟司さん、藻谷浩介さん、天野礼子さん。
テーマにそった3人の話は興味を引き、いつまでもこのまま聞いていたい、そんないい鼎談でした。
その偉大なる3人の鼎談の前に、山の子ども園『うしのしっぽ』の京村まゆみ園長が基調講演しました。
その講演を・・・・・
今から9年前の2006年、地元の左鐙小学校児童がこのままでは一桁になるかも?という危機感の中で嫁に来たおかあちゃんたちを中心に「左鐙の将来を考える会」を設立しました。
父ちゃんたちの尻を叩きながら、左鐙の魅力を全国に発信して山村留学や母子移住を呼びかけ、ここで一緒に子育てする仲間を増やそう!
しいては左鐙小の存続につなげよう!と様々な活動を展開してきました。
その翌年の2007年3月左鐙僻地保育所の休園(のち廃園)。
2007年
毎年一回、2泊3日の『夏休みサブミ宿泊体験』のスタート。
ホームページを立ち上げ地域の魅力発信し参加者を全国募集し、毎年多くの子ども達が夏の左鐙を楽しんでくれています。
2008年
毎月一回の教育ファーム事業。
近隣の児童、園児親子を募集し『さぶみ牧童探検隊』をわが京村牧場で。
これは特にイベントで終わらない体験をという合言葉のもと続けています。
又職員会で放課後の目が行き届かない時間の見守りをという学校側の要望がきっかけで、
2009年 毎週1回の放課後牧童をはじめました。
年一回、月一回、週一回と活動を重ねるうち強く感じたことがあります。
もっと日常的に子ども達の育ちに寄り添いたいと。
2012年
たまたまつけたテレビで智頭町の森のようちえんのドキュメンタリーを見て、すぐに視察へ。
その年の森のようちえん全国フォーラムへも参加し、その魅力にめちゃくちゃ惹かれました。
皆さんは森のようちえんという言葉をご存知ですしょうか?
1950年代デンマークの一人の母親が、自分の子ども達を毎日森で保育したことが始まりと言われその後、北欧を中心に日本でも10年前から少しづつ広がっています。
自然保育中心の保育園や学童保育、野外活動をする仲間たちが登録する森のようちえん全国ネットワークには140ほどの団体登録があります。
特に鳥取や長野などで県独自の自然保育の認証制度が設けられたり、このところ認知度や理解度が急激に上がっています。
アンテナはりめぐらし学習を重ねる中で、2015年度から子ども子育て新制度への移行の中で地域型小規模保育という枠ができる事も知りました。
益田市保育研究会が主催した学習会で新制度を策定する内閣府の担当の方や、子ども子育て会議の座長の教授らと話をするうち、実績を作って2015年を迎えれば地域型小規模保育として認可対象になりうるという大きな可能性を感じました。
ちょうどそのころ任意団体だった将来会をNPOへ移行する準備時期とも重なり、時まさに満ちた!!
今やらなきゃ!!という感じでした。
ですが、さすがに近しい人からは無謀だ!! 早すぎる!! とたしなめられました。
それでも、何より、強い思いをもって、森のようちえんを始めよう!!と後押ししてくれた3人の保護者とスタッフがいたことで、
2013年
山のこども園『うしのしっぽ』をほぼ見切り発車状態で認可外保育園としてスタートさせました。
時同じくしてNPO法人「さぶみの」も誕生しました。
そしてこの春
2015年4月より津和野町の認可施設として、旧左鐙保育園園舎をお借りして新たなスタートを切りました。
3人で始めた園ですが現在10名の園児、夏に京都や松江から移住されるので8月には12名定員いっぱいになる予定です。
私たちの【山のこども園うしのしっぽ】は左鐙という山、川、人に恵まれたフィールドの中でも、特に京村牧場 という動物とも触れ合える環境を中心に自然体験中心の保育を目指しています。
実は認可外保育所だった昨年までの2年間は主人が研修生や職場体験の生徒の力を借りながら10年がかりで建てた山小屋を拠点に一日中牧場で過ごせていました。
子ども達に与えられているたっぷりの時間を細切れにすることなく・・・・。
しかし、認可を受けた以上、認可された施設を中心に保育をしなければなりません。
認可を受ける時点で担当者からも「あくまで下の園舎を中心に!!」とくぎを刺されてもおりましたし、週の半分以上はお昼からは下の保育園の方で過ごしていました。
金曜日以外は毎日昼前には下の園舎へ下りて園舎中心の保育という形をとらざるを得なくなっています。
山の上で一日過ごせることがどんなに子ども達の育ちに有益かを体感しているスタッフにとっては実に不本意な状態ではあります。
認可園になったおかげでスタッフにまともな賃金が払えるし、保護者も町内の他園に通う子供と同じサービスや情報を受けられる。
しかし、認可園になったがゆえに保育理念を貫きにくい。
自分で考える力、自分で決める力、想像力、反射神経やバランス感覚、足腰腕の力などの身体能力、感受性の豊かさなど、など保育所保育指針や幼稚園教育要領に示されるねらいや目標達成に必要な様々な体験は山の上でなら設定しなくても可能なことが多いのですが。
先日の七夕には 山の上にとりあえず認可のとれる施設を建て、子ども達の時間を細切れにすることなく、保育理念を追求できますようにとスタッフ全員で短冊に願いを託しました。
●本物の自然の中で
山の中で過ごす事が毎日の日課。四季の移り変わりを感じ、雨や雪の日でも自然の中で過ごし、たくましい心と体を育む。
●本物の命と出逢い
牧場の動物たち、山の生き物たち、畑の野菜、山の草花・・・。
それらと関わり、時には調理して食べ、そんなやりとりで思いやりを生む。
●本物の生きる力を引き出す。
見守る保育を徹底して行うこと。
そこで小さな失敗をたくさん経験することで、ただそのままを認められているという安心感の中で、自分の力でできる自信やできない限界を知り、助け合う心を育む。
本物の自然。
フィールドの豊かさ。
四季。
風。
匂い。
音。
子どもらの表情。
子どもたちの表情。
この子ども達は各地からここを選んでやってきました。
保護者の皆さんの意識もとっても高いです。
本物の命。
牛。
豚。
鶏。
動物。
虫。
カニ。
植物。
動物の堆肥で育てた田畑の農作物と給食。
四季折々の山菜等、身のなる木々、湧水。
命の巡環の中にいる自分という存在を実感しながらすごしています。
本物の生きる力引き出すためにはまず遊びこむこと。
毎日でこぼこの道を歩く。
転ぶ。
立つ。
斜面を登る。
反射神経やバランス感覚、とっさのときに自分の身を守る。
自分の力でできない悔しさ。
できる喜び。
刃物や火を使って調理する。
助けを求めること。
協力する事。
そんな多くの体験を通して本当の満足感が自己肯定感につながると思ってます。
ある日の4,5歳児5人の遊びの様子です。
新年度はじまって2か月ほど経過したころの5人です。
これをあえて手や口を出さない、そんな保育士の高度な介入がこういう場面を引き出します。保育スタッフたちに感謝です。
指導という名のもと、子ども達の時間を細切れにすることや保護者に見せるための行事、そして施設に縛られることで失うものも多いのではないか・・・・と考えるこの頃、引き算の保育、引き算の教育と漠然と考える日々です。
こうして9年かけてようやく形ができつつある左鐙教育ですが、そのきっかけであり核となってきた左鐙小学校が残念ながら先月、津和野町6月定例議会で廃校が決定しました。
私たちは、地域と家庭と学校が重なり合ってマジで子どもに向き合い連携すれば子ども達は自己肯定感高く、そして大人を信頼して育つということをこの9年間に育った子らを見て実感しています。
中高校生や大学生に育った彼らが証明してくれています。
地域の次を支えるであろう彼らやわざわざ左鐙を選んで移住してきた家族、これから来られる家族にもこんな時だからこそ、後姿を見られていると意識せねばと思います。
大人への不信感や、やっぱり左鐙は切り捨てられる、田舎じゃダメというメッセージは送れません。自分たちがここで子育てすることをあきらめない。
そしてメッセージは、しかめっ面では伝わらない。
ぐちやうらみつらみでも伝わらない。
まずは自分たちが楽しむ!!
その姿を見せる!!
という原点に立ち返り、やっぱりさぶみのおじちゃん、おばちゃんは信頼できる!!
やっぱり左鐙に帰って子育てしたい!!
と思ってもらえるよう、あくまで自分たちが楽しみながら これからもぶれずに子ども達を中心に活動していきたいと思います。
以上講演より
左鐙小学校のコミュニティースクール制度(学校と保護者や地域がともに知恵を出し合い、学校運営に意見を反映させることで、一緒に協働しながら子どもたちの豊かな成長を支え「地域とともにある学校づくり」を進める仕組み)の導入の嘆願など、ことごとく津和野町教育委員会から否定され、
そして最後には津和野町から左鐙小学校自体を否定され、
左鐙の子育てのひとつの理想の形、「うしのしっぽ」と左鐙小学校、地域、その三者の連携
統廃合問題により、この何年間、何度も教育委員会との意見交換が行われその都度、こうした理想や子育て小規模校のあり方について一緒に考えていきませんかと投げかけ続けたが、とうとうそういった話もされることなく
その一つが失われていく。
でも立ち止まるわけにはいかん・・・・・。
NPO法人「日本に健全の森をつくる会」(クリックでHPへ)主催で
『3人話 自然の中で子どもたちを育てることを考えよう』 という鼎談がおこなわれました。
その3人とは、養老孟司さん、藻谷浩介さん、天野礼子さん。
テーマにそった3人の話は興味を引き、いつまでもこのまま聞いていたい、そんないい鼎談でした。
その偉大なる3人の鼎談の前に、山の子ども園『うしのしっぽ』の京村まゆみ園長が基調講演しました。
その講演を・・・・・
今から9年前の2006年、地元の左鐙小学校児童がこのままでは一桁になるかも?という危機感の中で嫁に来たおかあちゃんたちを中心に「左鐙の将来を考える会」を設立しました。
父ちゃんたちの尻を叩きながら、左鐙の魅力を全国に発信して山村留学や母子移住を呼びかけ、ここで一緒に子育てする仲間を増やそう!
しいては左鐙小の存続につなげよう!と様々な活動を展開してきました。
その翌年の2007年3月左鐙僻地保育所の休園(のち廃園)。
2007年
毎年一回、2泊3日の『夏休みサブミ宿泊体験』のスタート。
ホームページを立ち上げ地域の魅力発信し参加者を全国募集し、毎年多くの子ども達が夏の左鐙を楽しんでくれています。
2008年
毎月一回の教育ファーム事業。
近隣の児童、園児親子を募集し『さぶみ牧童探検隊』をわが京村牧場で。
これは特にイベントで終わらない体験をという合言葉のもと続けています。
又職員会で放課後の目が行き届かない時間の見守りをという学校側の要望がきっかけで、
2009年 毎週1回の放課後牧童をはじめました。
年一回、月一回、週一回と活動を重ねるうち強く感じたことがあります。
もっと日常的に子ども達の育ちに寄り添いたいと。
2012年
たまたまつけたテレビで智頭町の森のようちえんのドキュメンタリーを見て、すぐに視察へ。
その年の森のようちえん全国フォーラムへも参加し、その魅力にめちゃくちゃ惹かれました。
皆さんは森のようちえんという言葉をご存知ですしょうか?
1950年代デンマークの一人の母親が、自分の子ども達を毎日森で保育したことが始まりと言われその後、北欧を中心に日本でも10年前から少しづつ広がっています。
自然保育中心の保育園や学童保育、野外活動をする仲間たちが登録する森のようちえん全国ネットワークには140ほどの団体登録があります。
特に鳥取や長野などで県独自の自然保育の認証制度が設けられたり、このところ認知度や理解度が急激に上がっています。
アンテナはりめぐらし学習を重ねる中で、2015年度から子ども子育て新制度への移行の中で地域型小規模保育という枠ができる事も知りました。
益田市保育研究会が主催した学習会で新制度を策定する内閣府の担当の方や、子ども子育て会議の座長の教授らと話をするうち、実績を作って2015年を迎えれば地域型小規模保育として認可対象になりうるという大きな可能性を感じました。
ちょうどそのころ任意団体だった将来会をNPOへ移行する準備時期とも重なり、時まさに満ちた!!
今やらなきゃ!!という感じでした。
ですが、さすがに近しい人からは無謀だ!! 早すぎる!! とたしなめられました。
それでも、何より、強い思いをもって、森のようちえんを始めよう!!と後押ししてくれた3人の保護者とスタッフがいたことで、
2013年
山のこども園『うしのしっぽ』をほぼ見切り発車状態で認可外保育園としてスタートさせました。
時同じくしてNPO法人「さぶみの」も誕生しました。
そしてこの春
2015年4月より津和野町の認可施設として、旧左鐙保育園園舎をお借りして新たなスタートを切りました。
3人で始めた園ですが現在10名の園児、夏に京都や松江から移住されるので8月には12名定員いっぱいになる予定です。
私たちの【山のこども園うしのしっぽ】は左鐙という山、川、人に恵まれたフィールドの中でも、特に京村牧場 という動物とも触れ合える環境を中心に自然体験中心の保育を目指しています。
実は認可外保育所だった昨年までの2年間は主人が研修生や職場体験の生徒の力を借りながら10年がかりで建てた山小屋を拠点に一日中牧場で過ごせていました。
子ども達に与えられているたっぷりの時間を細切れにすることなく・・・・。
しかし、認可を受けた以上、認可された施設を中心に保育をしなければなりません。
認可を受ける時点で担当者からも「あくまで下の園舎を中心に!!」とくぎを刺されてもおりましたし、週の半分以上はお昼からは下の保育園の方で過ごしていました。
金曜日以外は毎日昼前には下の園舎へ下りて園舎中心の保育という形をとらざるを得なくなっています。
山の上で一日過ごせることがどんなに子ども達の育ちに有益かを体感しているスタッフにとっては実に不本意な状態ではあります。
認可園になったおかげでスタッフにまともな賃金が払えるし、保護者も町内の他園に通う子供と同じサービスや情報を受けられる。
しかし、認可園になったがゆえに保育理念を貫きにくい。
自分で考える力、自分で決める力、想像力、反射神経やバランス感覚、足腰腕の力などの身体能力、感受性の豊かさなど、など保育所保育指針や幼稚園教育要領に示されるねらいや目標達成に必要な様々な体験は山の上でなら設定しなくても可能なことが多いのですが。
先日の七夕には 山の上にとりあえず認可のとれる施設を建て、子ども達の時間を細切れにすることなく、保育理念を追求できますようにとスタッフ全員で短冊に願いを託しました。
●本物の自然の中で
山の中で過ごす事が毎日の日課。四季の移り変わりを感じ、雨や雪の日でも自然の中で過ごし、たくましい心と体を育む。
●本物の命と出逢い
牧場の動物たち、山の生き物たち、畑の野菜、山の草花・・・。
それらと関わり、時には調理して食べ、そんなやりとりで思いやりを生む。
●本物の生きる力を引き出す。
見守る保育を徹底して行うこと。
そこで小さな失敗をたくさん経験することで、ただそのままを認められているという安心感の中で、自分の力でできる自信やできない限界を知り、助け合う心を育む。
本物の自然。
フィールドの豊かさ。
四季。
風。
匂い。
音。
子どもらの表情。
子どもたちの表情。
この子ども達は各地からここを選んでやってきました。
保護者の皆さんの意識もとっても高いです。
本物の命。
牛。
豚。
鶏。
動物。
虫。
カニ。
植物。
動物の堆肥で育てた田畑の農作物と給食。
四季折々の山菜等、身のなる木々、湧水。
命の巡環の中にいる自分という存在を実感しながらすごしています。
本物の生きる力引き出すためにはまず遊びこむこと。
毎日でこぼこの道を歩く。
転ぶ。
立つ。
斜面を登る。
反射神経やバランス感覚、とっさのときに自分の身を守る。
自分の力でできない悔しさ。
できる喜び。
刃物や火を使って調理する。
助けを求めること。
協力する事。
そんな多くの体験を通して本当の満足感が自己肯定感につながると思ってます。
ある日の4,5歳児5人の遊びの様子です。
新年度はじまって2か月ほど経過したころの5人です。
これをあえて手や口を出さない、そんな保育士の高度な介入がこういう場面を引き出します。保育スタッフたちに感謝です。
指導という名のもと、子ども達の時間を細切れにすることや保護者に見せるための行事、そして施設に縛られることで失うものも多いのではないか・・・・と考えるこの頃、引き算の保育、引き算の教育と漠然と考える日々です。
こうして9年かけてようやく形ができつつある左鐙教育ですが、そのきっかけであり核となってきた左鐙小学校が残念ながら先月、津和野町6月定例議会で廃校が決定しました。
私たちは、地域と家庭と学校が重なり合ってマジで子どもに向き合い連携すれば子ども達は自己肯定感高く、そして大人を信頼して育つということをこの9年間に育った子らを見て実感しています。
中高校生や大学生に育った彼らが証明してくれています。
地域の次を支えるであろう彼らやわざわざ左鐙を選んで移住してきた家族、これから来られる家族にもこんな時だからこそ、後姿を見られていると意識せねばと思います。
大人への不信感や、やっぱり左鐙は切り捨てられる、田舎じゃダメというメッセージは送れません。自分たちがここで子育てすることをあきらめない。
そしてメッセージは、しかめっ面では伝わらない。
ぐちやうらみつらみでも伝わらない。
まずは自分たちが楽しむ!!
その姿を見せる!!
という原点に立ち返り、やっぱりさぶみのおじちゃん、おばちゃんは信頼できる!!
やっぱり左鐙に帰って子育てしたい!!
と思ってもらえるよう、あくまで自分たちが楽しみながら これからもぶれずに子ども達を中心に活動していきたいと思います。
以上講演より
左鐙小学校のコミュニティースクール制度(学校と保護者や地域がともに知恵を出し合い、学校運営に意見を反映させることで、一緒に協働しながら子どもたちの豊かな成長を支え「地域とともにある学校づくり」を進める仕組み)の導入の嘆願など、ことごとく津和野町教育委員会から否定され、
そして最後には津和野町から左鐙小学校自体を否定され、
左鐙の子育てのひとつの理想の形、「うしのしっぽ」と左鐙小学校、地域、その三者の連携
統廃合問題により、この何年間、何度も教育委員会との意見交換が行われその都度、こうした理想や子育て小規模校のあり方について一緒に考えていきませんかと投げかけ続けたが、とうとうそういった話もされることなく
その一つが失われていく。
でも立ち止まるわけにはいかん・・・・・。
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